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その瞬間と場へ一本の線を描くために

「沼津美術研究所」

青木一香

アオキ イッコウ

    こんなことやってます

    「沼津美術研究所」代表

    ​美術家

    「最後の瞬間(時)に一本の線を描きたいの」

    70代とは思えない、チャーミングでやさしく美しい笑顔からは想像ができないほどの強く意志のある“ことば”。

    住宅地として人気の高い山王台エリアに青木先生が主宰する沼津美術研究所がある。
    ここでは絵の勉強ができたり、「墨の部屋」と名付けられた一室では、青木先生の作品を見ることができる。

    そして自宅兼アトリエもとても魅力的な場だ。

    一歩足を踏み入れると外観からは想像できない世界が広がる。
    3つの部屋をつなげたというリビング兼ダイニング兼アトリエの床には“紙”が貼られている。
    見渡してみると、廊下や扉、トイレの壁までも。
    つまり、部屋中が青木一香の“作品”で作られているのだ。

    「居心地のいい空間にしたいんじゃない」
    と、おちゃめに答えるが壁を取り払い、紙を貼ってしまう大胆さ。

    青木先生は1942年 岐阜市に生まれる、4歳より沼津で育つ。幼少よりお父さまから「書」の手ほどきを受ける。そして絵画に興味を持ち東京芸術大学へ。
    「うちはあまりお金持ちじゃなかったから大学は国立しか考えてなかった。そしたら美術の大学って一つしかないのよ!」
    2浪して入った大学、浪人中は東京にある現代美術研究所で学んだ。画材など何かとお金がかかる勉強に、いろいろなアルバイトをした。研究所で過ごした時間は恩師と盟友に巡り合うことができ、学生時代も研究所仲間とグループ展をした。
    絵を描き、33歳の時に「海を描く現代絵画コンクール展」に入選。自分の絵の道筋が見えてきたので、沼津に拠点を移す。

    毎年青木先生に絵を見せに来ていた美術大学を志望する一人の男性の声から、沼津に美術研究所を開くことにした。
    沼津で美術大学に行く準備をする生徒たちが集まり、42年間続いた研究所に通った生徒は延べ1200人。沼津でも東京と同じレベルの勉強をして美術大学に臨むことが出来るように、近年まで研究所を続けた。

    かつて街中のビルに美術研究所、そして作品を発表する場を、ということで商店街にE・SPACEを作った。
    沼津の美術界を支えた。

    これからのこと

    「いろいろやっているようによく言われるんだけど、結構ストイックなのよ。本当はいろいろやりたいんだけど、そしたら絵を描く時間が無くなっちゃうでしょ?」

    絵は描いても描いてもゴールはない。
    次はこうしようって、毎回迷いながら作品を作っていく。
    絵を描き続けてきた青木先生の常により良いものを、そして最後の瞬間(時)に描く一本を追い求める姿勢。
    その勢いはとどまることを知らない。

    〈連絡先〉

    沼津美術研究所
    沼津市山王台8−11 シルクマンション105
    TEL 055−951−3728